ごみばこ

感情の吐露

最後

 

ここ最近感情の振れ幅が大きい。

理由としては彼女との別れを感じているからだろう。

 

昨年10月に付き合い始めてこのまま幸せな日々を過ごし、結婚できると思っていた。

 

一方、年明け前から不安は募っていった。

 

激務な彼女、暇な自分。

 

働き方、生き方、とどのつまり人生観に大きな価値観の差があったからだ。

 

労働は極力したくない。それが俺の信念かつ人生の軸だった。

それは恐らく、母が自分の人生を棒に振ってるかのようにただただ俺たちを育てるために、職場の愚痴を零しながら毎日働いている姿を多感な時期に見ていたからだろう。

 

人生は一度きり、死ねばなにもかも喪失する。

死ぬ直前に自分の人生を振り返った時、果たして満足できるのか。人生のゴール、目的はそこ、生きていて良かった。そう思えることだろう。

 

労働に振り回されて死ぬ直前に後悔する。

惨めすぎる。人生は一度きりなんだぞ。

 

父親は俺が17の時に他界した。

理由は詳しく書かないが、激しく自分の価値観を揺るがした。

死ぬ時に後悔したくない。そう思わせてくれたのは父親だった。

 

しかし、彼女は仕事を毎日終電まで頑張っている。苦しいけれども人生の大半を占めるであろう会社人生というものに向き合っていきたいらしい。苦しいけども楽しいらしい。

 

この価値観の違いは何があっても寄り添い合うことはないと思う。

 

正直、7年ぶりに本気で恋していた。

彼女の我儘や悪いところには目をつぶってきていた。

それは母親を見ていたから、つまり、女性の苦しんでいるところを見たくない。苦しませたくないという思いから出た自然な振る舞いだった。

 

その心から出た優しさですら、彼女には受け止めてもらえなかった。

彼女から無下に扱われることに対して不満は一切言わず、ただ耐えてきた。

自分を殺して、でも殺しきれなくて、心はひたすらに荒んでいった。

 

それまでかなり量の減っていた酒もタバコも、2月からはほぼ毎日嗜まなければ死にそうなくらいになっていた。

夜は酒とタバコに逃げ、心を自傷して腐るように眠りにつく。

そんな日々になっていた。

翌朝には自傷した心が癒されていて、会社に行く。

朝は仕事に集中できるが、昼になると彼女が頭にちらつく。集中が途切れてキーボードを打つことすらもできない、今自分が何をしようとしていたのかもわからなくなっていることが増えていった。

 

そして明日。

彼女から別れたほうがいいと言われ、2週間後を迎える。

 

明日会う約束をしているが恐らく彼女の気持ちは変わらず、むしろ俺は人生に不要だという結論をじっくりと時間をかけて正解を導き出したことを伝えられるだろう。

 

結局半年ほど付き合って彼女のことはこれっぽっちも知ることが出来なかった。

彼女も俺のことをこれっぽっちも知らないまま別れてしまうんだろう。

 

他人を知るということはお互いがお互いを尊敬し、興味を持ち、歩み寄ることが必要なんだろう。

 

どちらかにその意思がなければ理解することは一生できないんだろうと思う。

 

明日を迎えるのが怖い。

いっそ殺してほしいくらいだ。