ごみばこ

感情の吐露

大人になることと分別を弁えること

28歳の冬。私は今も元気に生きている。

コロナ禍でコロナにかかろうと、色恋沙汰が目まぐるしく移り変わろうと、私は今を生きている。

2022年12月、気がつけばもう2022年12月であった。

気がつくと、もうそんな時、である。

周りには数多くの家族がいる。

わたしも新しい家族を築こうとしている。

時は移り変わる。

永遠と思っていたものは永遠じゃなくて。

ふと虚しさを感じる。

コロナ禍が人と人のつながりを強固にしたと思いつつ、人と人の分断を促したと思う。

密な繋がりはより密に、薄い繋がりはさらに薄くなった。

 

経済的な流れも人を大きく分断したと思う。

分断というより、みんな自分の生活のことで必死。

生きていくだけで精一杯なんだ。

 

この1年で私は私を客観的に見ることができるようになってきた。

私と私の外から私を観ている。

日々そんな感覚で生きながら、私を生きようと思う。

二度目の失恋

2021/12/11

 

元カノが忘れられなくて、連絡してみたら彼氏ができてた。

振られた時は、友達と遊ぶのが楽しい、彼氏は今いらないって言ってたけど。

まあ、3,4ヶ月も経てば気持ちも考えも変わるわな。

 

振られてからのここ数ヶ月、とにかく苦しくて、

それなのに元カノは事あるごとに付き合ってた時みたいに連絡してきて、

でもどうしても嫌いになれなかったから、嫌いになろうとすればするほど、

忘れようとすればするほど全然忘れられなかった。

 

大愚和尚の説法をひたすら聞きまくって、

生きること、死ぬこと、執着、愛、いろいろ自分なりに解釈しつづけている。

 

謎の背中痛に悩まされ、もう大病にかかって死ぬんじゃないかと不安になったり、

死が怖いから重松清その日のまえにを読んで、死ぬことの解釈を深めたり。

そんな中ばあちゃんも死んでしまって、人はこんなにあっさり逝ってしまうのかと。

2021年はホントに、ある意味濃厚で、密で、学ぶことが多かった年だなあと思う。

 

でも、何よりも、元カノが野良猫を見つけたときにコンビニで猫缶を買ってあげてたあの本当の優しさが本当に好きだった。

飲食店で店員さんに嘘くさい表情と声で「ありがとうございました、美味しかったです!」っていうのが見てて恥ずかしかったしイライラしたけど、本当に好きで羨ましく思えた。

 

ここまで好きになれる素敵な人を好きでいれて良かった。

 

俺はまたひとつ成長して前を向く。

27歳になる前から、27歳になったら聴こうと思ってた曲。頑張ろう。

youtu.be

コロナ禍に付き合って、コロナ禍に別れた

約2年ぶり?くらいに更新する。

 

私も社会人5年目である。時が経つのはとても早い。

 

2020年から始まったコロナ禍。

ちょうど会社の部署異動のタイミングと重なり、今までの生活と一変した世界が待っていた。

 

とにかく自分の興味のある部署に異動できたこと、2019年のクリスマス前に彼女に振られたことが原動力となって、心機一転生きる気力に溢れていた。

仕事を進める上で必要な資格も取って、すぐに新しい彼女もできた。

まだ2020年はコロナの感染者も今と比べると比較的少なく、医療逼迫することもあまりなかったので、出会うこともそれほどハードルが高くなかった。

 

また、兄夫婦や仲の良い友人が近所に住んでいたこともあり、コロナ禍でも、正しくコロナを恐れながら、人と触れ合うことができていた。ストレスも大きなものはなかった。

彼女が学生だったこともあり、楽しい日々を送っていた。

 

2021年になり、大きく状況が変わった。

 

兄の転勤、彼女の就職、友人の引っ越し。さらにまた私の部署異動。

 

兄はもともと全国転勤のある会社に努めており、運が良かったのか8年ほどずっと東京勤務だった。しかし、昇進するにあたり、地方での勤務が必須条件らしく、転勤してしまった。

 

彼女は会社に就職し、リモートワークが一切ない一般職として働き出した。また、火水休みということもあり、休みが合わない日々になった。

 

友人は、賃貸の契約更新のタイミングで電車で一時間ほどの遠方へ引っ越してしまった。

 

私は、1年足らずで部署をまた異動した。といってもなにかやらかしたわけでなく、興味のある技術をより学べるR&D組織へと2年間修行しに行くこととなった。やはり引き付けの法則はあると確信した。

 

と、上記のように2020年と2021年で周りの環境が大きく変わってしまった。

 

私は孤独感を抱きながらも、たまに仕事終わりに会いに来てくれる彼女に依存してしまっていた。一方で彼女もよく愛情表現をしてくれる子だったので、将来に不安を抱えることのない日々だった。

 

6月、7月ごろから、彼女はよく飲みに行くようになっていた。

医療の逼迫状況を鑑み、今感染すると若者でもリスクが高いと判断していた私は、そんな彼女にとてもストレスを抱くようになっていた。さらに一人暮らしならまだしも、親と同居する彼女の気持ちが全く理解できないでいた。

 

価値観の根本的な相違、お互いが受容しきれない価値観に、将来うまく行かないだろう、時間の問題だろうと思っていた。

 

そんな矢先、デートの待ち合わせをしてお昼ごはんを食べていたときに、彼女から別れを切り出された。

 

理由は、”嫌いなところがない”だった。この前まで好きだったのに、好きという気持ちが今はない。ということだった。

彼女曰く、好きなら彼氏のことを優先して考えるのが私なのに、今の私はあなたといることよりも友達と飲みに行ったりするほうが楽しい。と。

また、結婚に対する意識も少し影響しているようだった。

 

彼女とは何度か結婚観について話し合ったことがあった。

私は来年2月に昇進、給料も上がり、生活に余裕が生まれる。27歳ということもあり、そろそろ結婚を意識してもいいかなと彼女に伝えていた。

一方彼女は、30歳までに子供は産みたいけど、結婚は現状考えていないという意見だった。

 

私は、お互いが結婚したいと思った時にするものだと思っていたので、それを聞いても特にショックではなかった。また、本気で話し合うタイミングはもっと後だと考えていたので、彼女の口から結婚云々の話が別れ話のタイミングでされることも驚いた。

 

そういうわけで約1年付き合った彼女と別れることになったのだが、これまでの恋愛と違い、大きな絶望感はない。彼女が生活にいたことによる安心がなくなるという点で喪失感、そういった寂しさはあるが、何事も手につかないようなことはない。

実際のところ、振られた翌日は浴びるほど酒を飲んで、失恋ソングを聞きまくって嗚咽が出るほど泣いた。

家族や友人に話を聞いてもらったことで最大瞬間風速的な喪失感は消え去った。

 

コロナ禍でなかなかヤケ酒もできず、会社の人たちや友人に会うこともできない、休みの日が本当に暇になる。ということに対する不安は大きい。

しかし、彼女がいたとしても土日はどうせ一人だったし、平日の夜にたまに一緒にご飯が食べられなくなることを除けば、生活に大きな変化はないと思った。

 

 今までの恋愛は、別れた後に即マッチングアプリで次の女性を探していたが、もう疲れた。こんなご時世で、そもそも人と会うことがストレスなのに、いろいろ気を使って新しい女性と出会うのはかなり疲れる。

 

今は振られたばかりでかなり落ち込んでいるが、まあ今までのようになんとかなるんだろう。

情緒

ここ数ヶ月、情緒は比較的安定していた。

ただ今このタイミングに限って情緒が変になっている。

 

将来のことを考えているからかもしれない。

自分は本当に結婚したいのか、このまま会社に居続けるのか、自分がしたいことは何なのか、何を求めていて何で満足できるのか、満足したいのか、といったことが同時多発的に頭の中を駆け巡っている。

 

BUMPのsupernova、wacciの感情、その他諸々自分の感情にフィットする音楽を探しているけれども今日は落ち着かない。

 

25歳になりました。

 

気づき

彼女と旅行に行ったのに喧嘩してしまった。

 

原因は全て自分にある。

あの時の言動、振る舞いは自分勝手で自己中だった。

 

相手が今どう思っているか、どういう感情なのか、それを察する事はできる。ただその察した先って結局自分の今までの経験から来る思い、感情の範疇でしかなくて、相手の本当の思い、感情ははっきりと伝え合わない限り絶対に分からない。そのことに改めて気づくことが出来た。

 

自分勝手に相手の思い、感情を作り出し、それがさも相手が思っているかのように思い込むこと。その思い込みから来る不安は自分が作り出したものでしかなく、本当かどうかはわからない。その不安が自分勝手に増幅していき、最後には爆発する。これが人間関係を維持する上で一番やってはいけないことなんだと思った。

相手のことを思ってるようで自分のことしか考えられていない。

 

振り返ると今までの恋愛でも同じことをしていた。相手はこう思ってるだろう。そこで完結してしまうとダメなんだと。

 

今回の喧嘩で大きな気づきを得ることが出来た。例え、この先今の彼女とうまくいかないことになったとしてもこの気づきを与えてくれた彼女にはとても感謝している。

 

気づけたことで意識を変えられ、少しずつ行動も変わってきている。今は大変だけども、これを習慣にして、自然と出来るようになりたい。

 

他人なのだから言わないと伝わらないんだ。

違和感

 

今日出社したけどデスク座ってパソコン開けるまでは普通だった。

資料開いた瞬間、自分が今何をしないといけないのか、次にどんな資料を開く必要があるのか、どういった文字を打ち込む必要があるのかがわからなくなってしまった。

 

羅列されている英数字を見ても何も頭に情報が入ってこなかった。

 

これはやばいと思い、先輩と対面で資料の話をしようとしたがなぜこの資料について打ち合わせしてるのかわからなかった。

 

結局言葉も出てこず、そのまま早退した。

 

電車に乗っているけど吐き気がしている。

 

最後

 

ここ最近感情の振れ幅が大きい。

理由としては彼女との別れを感じているからだろう。

 

昨年10月に付き合い始めてこのまま幸せな日々を過ごし、結婚できると思っていた。

 

一方、年明け前から不安は募っていった。

 

激務な彼女、暇な自分。

 

働き方、生き方、とどのつまり人生観に大きな価値観の差があったからだ。

 

労働は極力したくない。それが俺の信念かつ人生の軸だった。

それは恐らく、母が自分の人生を棒に振ってるかのようにただただ俺たちを育てるために、職場の愚痴を零しながら毎日働いている姿を多感な時期に見ていたからだろう。

 

人生は一度きり、死ねばなにもかも喪失する。

死ぬ直前に自分の人生を振り返った時、果たして満足できるのか。人生のゴール、目的はそこ、生きていて良かった。そう思えることだろう。

 

労働に振り回されて死ぬ直前に後悔する。

惨めすぎる。人生は一度きりなんだぞ。

 

父親は俺が17の時に他界した。

理由は詳しく書かないが、激しく自分の価値観を揺るがした。

死ぬ時に後悔したくない。そう思わせてくれたのは父親だった。

 

しかし、彼女は仕事を毎日終電まで頑張っている。苦しいけれども人生の大半を占めるであろう会社人生というものに向き合っていきたいらしい。苦しいけども楽しいらしい。

 

この価値観の違いは何があっても寄り添い合うことはないと思う。

 

正直、7年ぶりに本気で恋していた。

彼女の我儘や悪いところには目をつぶってきていた。

それは母親を見ていたから、つまり、女性の苦しんでいるところを見たくない。苦しませたくないという思いから出た自然な振る舞いだった。

 

その心から出た優しさですら、彼女には受け止めてもらえなかった。

彼女から無下に扱われることに対して不満は一切言わず、ただ耐えてきた。

自分を殺して、でも殺しきれなくて、心はひたすらに荒んでいった。

 

それまでかなり量の減っていた酒もタバコも、2月からはほぼ毎日嗜まなければ死にそうなくらいになっていた。

夜は酒とタバコに逃げ、心を自傷して腐るように眠りにつく。

そんな日々になっていた。

翌朝には自傷した心が癒されていて、会社に行く。

朝は仕事に集中できるが、昼になると彼女が頭にちらつく。集中が途切れてキーボードを打つことすらもできない、今自分が何をしようとしていたのかもわからなくなっていることが増えていった。

 

そして明日。

彼女から別れたほうがいいと言われ、2週間後を迎える。

 

明日会う約束をしているが恐らく彼女の気持ちは変わらず、むしろ俺は人生に不要だという結論をじっくりと時間をかけて正解を導き出したことを伝えられるだろう。

 

結局半年ほど付き合って彼女のことはこれっぽっちも知ることが出来なかった。

彼女も俺のことをこれっぽっちも知らないまま別れてしまうんだろう。

 

他人を知るということはお互いがお互いを尊敬し、興味を持ち、歩み寄ることが必要なんだろう。

 

どちらかにその意思がなければ理解することは一生できないんだろうと思う。

 

明日を迎えるのが怖い。

いっそ殺してほしいくらいだ。